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【解体材処理の沿革③】

【解体材処理の沿革③】

戦後まもなくの頃は、

経済発展や都市への人口集中によって急増する都市ごみへの対応が課題であった。

ごみを河川や海洋に投機することなども行われていたため、

ハエや蚊の大量発生・伝染病の拡大などの問題が生じていた。

また、

ごみの収集も手車など人力で行われていたため、

排出量の増大に対応できないなどの問題もあった。

そこで国は、

1954(昭和29)年に「清掃法」を制定し、

従来の市町村がごみの収集・処分を行うのに加え、

国と都道府県が財政・技術支援を行うようになり、

各都市でごみ焼却施設の導入が促進されるようになった。

一方で、

産業から排出される廃棄物については、

市町村の処理体系の中で処理を行っており、

現在の産業廃棄物という定義もなく、

解体材がどのように処理されているかが国の管理下にない時代であった。

 

新・解体工法と積算 解体工法研究会

一般財団法人 経済調査会